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開基・一條源八時信公700年御遠忌と供養塔の除幕式

厳修します

趣 意

かねてより忠頼には「威勢を振ふの余りに、世を濫る志を挿む」(『吾妻鏡』)という話があり、元暦元年(1184)6月16日、頼朝により鎌倉で誄殺された。この悲報は甲斐府中一條の館に届けられた。忠義篤き家臣の中には当然主君の仇討ちを申し出るものもいた。が、それを制止し、たしなめたのが忠頼夫人(出自、名前など一切不明)であろう。悲しみに暮れた夫人はその館を尼寺とし、自らも剃髪、慰霊三昧の日々を過ごしたと伝えられている。この尼寺こそが、約120年の後、一蓮寺となって開山されるのである。

忠頼亡き後、甥の信長が一條家を継ぎ、その孫である甲斐の守護職一條源八時信(『尊卑分脈』)は、正和元年(1312)、自らを開基、弟の一條宗信(朔日上人)を開山として一條小山(現・舞鶴城公園)に「時宗一蓮寺」として開山したのである。

当山は、平成24年(2012)には開山700年を迎え、以後10年間を「開山700年記念事業期間」とした。そのような中今年、時信公の歿(1321)後700年を迎え、ここに遠忌法要を厳修し、また供養塔を建立しその威徳を偲びつつ供養することとした。併せて一條家の祖である忠頼公と令夫人の供養塔をも建立し、当山の歴史を顧みる縁とし、供養することとした。忠頼公が鎌倉に歿して約840年間、一所に並ばれることはなかったであろう夫妻が、いま時を経て、由縁深き一蓮寺内に慰霊されることは感慨深いものがある。

《お願い》本来ならば、檀徒の皆様にご案内を差し上げ、多くの御参列を願うところですが、落ち着いているとは云え、相変わらずのコロナ禍中です。規模を縮小しての厳修を営まざるを得ません。皆様の御理解と御協を切にお願い申し上げます。