中興
遷寺前の一蓮寺
1583-1593
天正11年(1583)甲府城の築城にかかり、文禄2年(1593)に完成したことになります。その間10ヵ年、当山の世代では17代上人の時代です。当山過去帳によれば18代上人の世代中に現太田町に遷寺が完了したように誌されておりますので、おそらく、17代上人から18代上人へ受け継がれた大事業であったと見ることができます。遷寺前、当時の寺域を確定することは、現在のところできませんが、一条小山、すなわち現甲府城跡を中心に、山梨県庁から甲府駅に至る一帯を占めていたと察せられます。ここには一蓮寺の本堂・客殿・庫裡等があったほか、多数の子院、すなわち塔頭が立ち並び壮観を呈していました。近時、山梨県埋蔵文化財センターによって実施された県史跡甲府城跡の発掘調査においても、調査区域の西側を中心に戦国期の五輪塔や宝篋印塔などが石垣内部から大量に出土しています。出土地点は松陰門(本丸北西)・天守曲輪(本丸南)・鍛冶曲輪門(鍛冶曲輪西端)の三か所で、鍛冶曲輪門の石垣内での発見例が最も多く、これらが一蓮寺及びその塔頭のものであることはほぼ確実で、寺域が一条小山から西側にも広がっていたことが推定されます。
『一蓮寺過去帳』にはこの寺の塔頭と思われる院号・庵号・軒号をもった寺の名がしばしば登場します。一度限りのものもありますが、二度以上現れるものも多々あります。出現頻数の多いもの若干を拾うと、法王院・般舟院・東光院・春明庵・宝樹庵・献陽庵・願称庵・玉樹庵・桂陰庵・海蔵庵・以鏡軒などが挙げられますが、以下に列挙してみます。
塔頭:定真庵、福生院、清冷院、梅柳庵、殊玄庵、玉樹院、願生庵、東光院、慶寿庵、幸福院、浮慶庵、顕揚院、海蔵庵、玄竜院、慶生庵、医王院、春明庵、法王院、以雲庵、東陽軒の20の坊
末寺:玉伝寺、神竜寺、円福寺、花台寺、三光寺、珠宝寺、願行寺、応声寺、玉泉寺、等生院、般舟院、西住寺、尼方寺、桂蔭庵等
これらは時代の移り変わりと共に、2・3を残して、大部分は廃寺となって現在におよんでおります。